牙オフィシャル ファンブック 感想その8

昨日アップすれば最終話からちょうど一年だったことに今朝気付きました。失敗したなあ。内容も最終話のことだったのに。

監督・神志那弘志インタビュー その5

彼女(サギリ)は(歳のわりに)やけに女っぽいってよく言われるけど、僕の考えでは10歳くらいの女の子って、あんな感じなんじゃないかなぁ?

10歳! それならあの言動もすんなり納得できます。大人っぽすぎると言われるのは、よくて小学校低学年くらいの歳だと認識されているからなのでは……。

手元に羽飾りがなくても想いは繋がっているというイメージは持っている。そして、物語はずっと続くんです。

最終話エンディングについては自分の解釈との違いはほとんどなかったです。まあ、納得いかなければ読まなかったことにするつもりだったんですが(笑)。アミルの微笑みシーンはいまいち分からないままでいたので、そこは結構驚きましたね。車椅子のノアの容態について、インタビュアーさんがとても単刀直入に質問していたのもビックリ。羽飾りは最終的には手放してしまったとはいえ、50話のあの混乱の最中しっかり回収していたんだと思うとかなり萌えます(笑)。
最終話をリアルタイムで観終わった時には全然咀嚼することができず、観返した時やっと頭に入ってきて、ボロ泣きしたんですよね。自分でもバカだなーと思うくらい、連日泣いていたもんなあ(笑)。
何故こんなに切なくなるんだろうと考えてみると、ゼッドとロイアやノア達はいつか再会できると信じているけれど、それは一時的なものだろうと思わざるを得ないからなのかなと。でも、例え何十年後であろうがほんの一瞬であろうが、再会するんだということ自体は譲れませんが。そして、ラストのゼッドはもう幸せとか幸せじゃないとかそういった次元を超えてしまっているのだなあという印象を抱いてしまうんですよね。まだ15歳なのに全て悟っちゃったかのような……、年相応にロイア達と楽しそうにしている彼の姿をもっと観ていたかったと思うと、無性に泣けてきてしまうというか。でも、ゼッドがテンプラーに収まるような器ではないことも理解できるわけで、この辺りは考える度にホント思考が無限ループに嵌まってしまいます。それでも考えずにはいられないんですが。
最近は最終話のゼッドなら、監督のおっしゃる「孤高のヒーロー」もしっくりくるのかもなあと思ったりもしています。