第66回アニメスタイルイベント「芦田豊雄の素顔を語る!?」 レポ1

2012年1月11日(水)19:30〜 新宿LOFT/PLUS ONE
出演者:神志那弘志さん、吉松孝博さん、わたなべひろしさん、大徳哲雄さん、小黒祐一郎さん(司会)

神志那さんと吉松さんが芦田さんを語るとあっては、ワタルファン牙ファンライブファン的に行くしかあるまい!というわけで、年末年始に回顧展のため2回飛んだんですが、また行ってきました。2週間で3回上京の頻度はさすがに初めてのような気がします。今回は、前回(昨年11月のアニメスタイベント)が時間ぎりぎりで席がかなり後ろになってしまった反省を生かし、早めの便で開場前に並ぶことが出来ました。1番前のど真ん中はさすがに落ち着かなそうなので、前の端っこの席に座りました。
回顧展のレポもまだ途中ですがとりあえず記憶が新鮮なうちに一つ目のレポを。記憶のみで書いていますので誤りなどもあるかもしれませんがご了承ください。発言者名がない部分はどなたのか忘れたところです。一部敬称略。

第1部 芦田さんとOUTを語る!?

最初に吉松さんと司会の小黒さんが登壇。観客を見渡して、今回は女性が多くて珍しい、と。吉松さんの「回顧展に行った人は?」との質問に、ほとんどの方が手をあげていました。「小黒:金田(伊功)さんが亡くなった時、送る会の開催に芦田さんが尽力してくださって。終わった後に芦田さんと話したんですが、この先も偉大なクリエーターが亡くなった時、我々はどうしていくべきなんだろうと……。芦田さんを語る会は、亡くなった直後にやるのはちょっと違うよなと思って」「吉松:アニメ様(小黒さん)からこの話を貰った時、回顧展もあったのでタイミング的にちょうど良いなと。回顧展に行かれた方も多いようなので、その延長線上な感じで出来たらと思っています」
続いて、神志那さん、元OUT編集部の大徳さんも登壇。わたなべさんは第2部からの予定でしたが、第1部の途中で召喚されていました。ちなみに、神志那さんと吉松さんは現在もスタジオ・ライブ所属(神志那さんが現社長)、わたなべさんは退社されています。
芦田さんと大徳さんの出会い
まずは元OUT編集長の大徳さんのお話から。OUTは95年に休刊した結構何でもアリなアニメ誌。私がOUTを購読していたのは休刊間近の頃でした。編集長は南波さんだったかな?
「大徳:回顧展の図録で書いたことと被るんですが、編集長になりたての頃、取材したとあるアニメ監督に、アニメ誌の編集なんてやってて楽しいの? 男のやる仕事じゃないよね、と言われたのがショックで……。でも、芦田さんはOUTの方針に共鳴していると言ってくれて、業界の仲間として受け入れてくれた。そして意気投合するようになって飲み友達になったんです」
アニメ大賞
過去に行われていたアニメ誌合同のアニメ大賞授賞式での芦田さんのコメント。「芦田:今回は何か組織票があって受賞してしまったみたいで」/「司会:いつもアニメ誌の写真ではお面を付けているようですが、それは何故ですか?」「芦田:警察に追われているんです(笑)」というようなやり取りがあり、大徳さんは、一応正式な場なのにこんなふざけたコメントを出せるなんて度胸のある人だなあと思ったとのこと。
スナック・ミミ
旧社屋の近くにミミというスナックがあり、芦田さんはよくそこで飲んでいて、神志那さんや吉松さんも度々呼び出されていたとのこと。「吉松、その時まだ未成年じゃない?」「吉松:言われてみれば……19とかですかね」
ミミは若干変わったお店らしく、トイレには“トイレは綺麗に使いましょう。アンネの日記より”というような張り紙があり、「何故アンネの日記!? そのセンスがまるで芦田さんが書いたんじゃないかっていう」。
芦田さんは飲む時に全く食べないらしく「吉松:それが酔わない秘訣だと言ってたけど、体に悪いですよね」
入社試験
ライブ名物だいう入社試験での一発芸披露。大徳さんは、芦田さんに誘われてその見学に行ったそう。アニメーターは人を楽しませてなんぼなので、プライドをかなぐり捨てて芸をやれるぐらいじゃなきゃ駄目だという芦田さんの考えがあったそうです。らでぃっく2にも“スタジオライブ伝説の名作芸大全集”という変なコーナーがありましたが、ネタじゃなくホントのホントにやってたのか……(笑)。
仁義なき戦い
OUTの捏造記事ネタ1。スクリーンにその記事が写し出されていました。ライブとアートランドを組に見立てたパロディ記事。あらすじ:アートランドに所属していたアニメもマンガも描ける美樹本晴彦さんが欲しかった芦田組長は、ライブの美人アニメーター3人と交換しないか?とアートランドの組長に取引を持ちかける。「芦田:アイツは女に弱いから、これなら断らないだろう(よく人の事言えるよね、と大徳さんからツッコミ有)」 しかし、絵の描けない3人を押し付けようとしたのがバレてしまい抗争になりかけたが、OUTシャイダーがそれを止める。…………うーん何なんだろコレ(笑)。「小黒:当時何事が起こったかと思いました」 図録の後ろの謎シチュエーション写真はこれだったんですね。
スタジオ・ライブ分裂!?
OUTの捏造記事2。これもスクリーンに記事を写してました。わたなべさんがライブから独立してスタジオ・ロリータという新会社を立ち上げるという記事。「ロリータっていう名前が酷いよね」「わたなべ:毎週ファンレターをくれる熱心なファンがいたんですが、その方に育ててくれた師匠を裏切るとは何事だ!?と手紙で怒られました」「写真も明らかにふざけた感じなのに、真面目なファンだったんだねえ」
「わたなべ:そもそもこの記事も雑誌が出るまで知らなかったんですよ。ほとんど関与していないんです。静かに仕事をしたいのに、(OUTのせいで)原画描いてる途中で銃持たされて車の陰に隠れろとか言われたり……」
人生冗談 友よ心にバックドロップはあるか
OUTの芦田さんの連載コーナー(初期)。連載開始にあたって「大徳:テーマを決めて読者投稿というのはすでに他のコーナーでやっているので、人生相談とかはどうですか?」「芦田:いいね。タイトルは人生相談だと面白くないから、人生冗談で」
「吉松:何か4コマぐらい描けるだろ?と芦田さんに言われて、サムシング吉松が誕生しました。そのうちコーナーの一部を任されるようになって。そこは自分がキャプションつけてたんですが、忙しくなるにつれ芦田さんのつけるキャプションが減っていったので、自分のも減らしていったら、吉松お前はちゃんと書けと言われました(笑)」
「小黒:神志那さんは、OUTにはあまり関わってなかったんですか?」「神志那:結構真に受けちゃうタイプなんで、芦田さん的にはいじりづらかったんじゃないかと……。なので、あまりOUT関連は振られませんでしたね」
「わたなべ:芦田さんはOUTの創刊号(この時はアニメ誌ではなくサブカルチャー誌だった)みたいな人ですね。サブカルチャーを体現してるみたいな」


続く。